風立ちぬのシベリア偽善シーンなど、二郎の性格はひどいクズなのか?

宮崎駿の引退作(発表当時)として、世界中から大注目を集めたジブリアニメ作品「風立ちぬ」

個人的には一番好きな「もののけ姫」の次に好きになったくらいの大傑作だと思っているのですが、それだけに鑑賞後にモヤモヤの残る作品だとも感じます。

とくに、主人公の堀越二郎に対して「共感できない」「奥さんの菜穂子がいるのにひどい奴だ」「二郎はクズ!」と辛辣な意見も少なからず見られます。

今回の記事では、問題のシベリアを受け取らない子供たちにのシーンなどから、二郎の性格や人間性を読み解いていこうと思います。

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風立ちぬのシベリアのシーンで堀越二郎が偽善と言われた理由

風立ちぬの中で印象的だったシーンの中の1つに、主人公の二郎が貧しい女の子にシベリアをほどこそうとして拒否されるシーンがあります。

そんな二郎に対して、彼の親友である本庄は、二郎を「偽善だ!」と叱責します。

 

「取り付け金具を作る金だけで、日本中の子供たちに天丼とシベリアを食わすことができる」

「それくらい国民の生活を圧迫することで、自分たちは飛行機を作っている」

「貧しい日本の中で綺麗な身なりをした大人が、自分たちが大変だろうと勝手に決めつけてお菓子を差し出してくることを惨めに感じ、子供たちはシベリアを受け取らなかった」

 

という指摘を受け、1度は「違う!と」反発するものの、少し考えて「いや、、そうかも知れない」と自らの中の偽善を認める二郎。

このシーンは、堀越二郎というキャラクターを鑑賞者に伝える上で、とても重要な場面だったのではないでしょうか?

堀越二郎の性格と人間性はサイコパス?

風立ちぬの堀越二郎が、作中から100年後の現代の日本に存在していたとしたら、きっと彼は「サイコパス」と呼ばれていたのではないか?と思います。

サイコパスとは、反社会的人格を持つ人のことで、すごくザックリ言うと「自己中でワガママな性格の人」です。

 

サイコパス研究の第一人者である「ロバート・D・ヘア」さんはサイコパスの特徴として下記のように説明しています。

□良心が異常に欠如している
□他者に冷淡で共感しない
□慢性的に平然と嘘をつく
□行動に対する責任が全く取れない
□罪悪感が皆無
□自尊心が過大で自己中心的
□口が達者で表面は魅力的

 

二郎の定義に当てはまるかは微妙ですが(さすがにもう少し感情移入できる人間味のあるキャラだと思います笑)、自己中でワガママな性格の人という広義において、彼をサイコパスと呼ぶことはできます。

シベリアのシーンもそうですし、結核を患っている菜穂子の横で喫煙するなど自己中心的に振る舞う(ように見える)二郎を見ていれば、彼はたしかに他の人に比べると他人への共感力が希薄な気がしますよね。

(この菜穂子の横で喫煙などについては、別途記事を書きますので、よろしかったらそちらも読んでみてください)

 

また、サイコパスの特徴の1つとして、頭の良い天才肌タイプの人が多いことが挙げられます。

堀江貴文、スティーブ・ジョブズなど、次から次へと革新的なアイディアを思いつくような経営者の方にサイコパス疑惑が集中するのも納得できます。

サバの骨の美しい曲線から飛行機の設計を思いつく二郎は誰がどう見ても天才でしょう。

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とはいっても、ホリエモンやジョブズがそうであるように、サイコパスだからと言って、堀越二郎に優しさや親切心がまるでないわけではありません。

二郎はひどいクズかもしれないけど悪人ではない

・関東大震災の際、菜穂子と絹を自発的に助けてあげ名も告げずにその場を去る
・飢えに困っている人がいたら食べ物を分けてあげようとする
・二郎の親友である本庄を職場内で常に気にかける

風立ちぬの作中で、二郎は彼なりの優しさを発揮する場面が数多く見られます。

 

ただし、根本的に「人の気持ちが分からない」ので、シベリアの話のようにズレた行動を起こしてしまうこともしばしば。その後にシベリアを巡って本庄から諭されても、途中まで二郎はいまいち本庄の言葉がピンと来ていないようでした。

病床にある菜穂子に送る手紙も、冒頭の1〜2行に「大丈夫?心配してるよ」と書いた後は延々と今自分が充実していることや、仲間とこんな発見をした!といった自分語りが延々と続きます。乙女心を完全ムシです。汗

 

ただし、これら二郎の行動に対する反応も、悪気があってのことでは決してなくて、二郎は単純に「分からない」だけなんですね。

本人としては、貧しい人たちにシベリアを分け与ようとしても喜ばれ感謝されない理由がを本庄から指摘されるまで分からないし、

菜穂子に送る手紙の内容が却って「二郎さんは自分に関心を持ってくれていない」と、彼女を二郎の元へ動かしてしまう結果になるのですが、なぜそうなってしまうのか?も二郎は分からないんです。

 

自覚があって意図的にクズらしい行動をとっていない以上、二郎を悪人だと決めつけることはできません。

自覚がないからこそタチが悪いと指摘する声もありますが、先述したサイコパスの人は、生まれながらにして脳の構造が一般的には異なるという医療的な根拠も挙がっています。

生まれつき足が悪くて上手に歩けない人を指差して「あいつは他の人のように歩かないから悪い奴だ!」と糾弾する人はいません。だからその点は、少し多めに見てあげてもいいんじゃないかな?というのが個人的な考えです。

もっとも、悪意はないといっても、ピュアにイノセントにナチュラルに、周りを惑わせ傷つけてしまう二郎のキャラクターがなかなか鑑賞者から共感されないのもまた理解できるんですけどね。。。

風立ちぬの堀越二郎という人間についての解釈まとめ

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シベリアほどこし拒否のシーンや、菜穂子との一連のやりとりからも推察できるように、堀越二郎という人間は、どこか人間味が感じられなくて情が希薄な印象のあるキャラクターです。

けれども、二郎が意図して誰かを傷つけたり貶めたりするようなシーンは、作中に一度も見られません。

二郎は二郎なりに、人に優しく接し、人を愛してきたんです。ただ、サイコパスな人間性ゆえにいちいちズレてたりするのですが・・・汗

そういうクセのあるキャラクターが主人公として配置されているからこそ、「風立ちぬ」という作品は、一癖も二癖もある超大作に仕上がったのかもしれませんね。

 

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