風立ちぬのヒロインである里見菜穂子。
二郎というクセのあるキャラクターに恋い焦がれるだけあって、菜穂子もなかなか一筋縄ではいかない性格です。笑
そのため、作品を観た人たちからは、菜穂子に対して「かわいそう」という同情的な意見もあれば「嫌い」、「あざとい」と批判的な意見も寄せられています。
今回の記事では、「里見菜穂子はかわいそうだったのか?」などについて書いていきたいと思います。
人の気持ちが分からない二郎が愛した美しいもの
前回の記事では、風立ちぬの主人公の二郎というキャラクターの人となりについて書いてみました。
繰り返しになりますが、大原則として、二郎は人の感情の機微に鈍感なサイコパス気質の人間です。決して悪人なのではないのですが、根本的に人の気持ちに興味がないタイプなんですね。
それは、二郎が妹と遊んだり会う約束をしても、毎回忘れたりすっぽかしてしまうことからも分かります。
ただし、彼は「自分がしたいことをしたいようにする」のに関してはコストを惜しみません。
関東大震災で列車事故があったとき、菜穂子と絹を助けてあげたのも、彼がしたいことを勝手にやったから。何か企みがあってのことなら事後、誰にも名も告げずにその場を去るなんてしないでしょう。
貧しい子供にシベリアをほどこそうとしたのも、衝動的に彼が勝手にしたいことをやっただけ。相手の気持ちなどお構いなしです。
二郎の親友である本庄から「彼らの生活を困窮させている原因は、飛行機を作っている自分たちだ。それなのに彼らに対して同情や哀れみを向けるのは偽善だ!」と咎められても初めのうちはピンと来ない様子。
二郎は、誰かに親切にすることですら自己中心的な考えを原動力として動くんですね。
また、二郎は基本的に美しいものにしか興味がありません。
爆撃機を作ることに熱意を注ぐのも、飛行機が美しいから。菜穂子を愛し添い遂げることを決めたのも、菜穂子が美しかったからです。
地震のときに菜穂子と絹を助けましたが、あれが二郎が美しいと感じない人物だったら、同じような行動を取っていたか?というと微妙です。。
風立ちぬの菜穂子はかわいそうだったのか?
そんな二郎に恋焦がれ、彼に生涯を捧げることを決意した人物が、風立ちぬのヒロインの菜穂子です。
菜穂子は汽車での関東大震災での事故の際、二郎に助けられてからずっと彼のことを想っていました。
ある日、偶然二郎と再開してからは、急激に彼と親しい関係になって婚約。
菜穂子の持病の結核が悪化し、病院での入院、療養中に彼女は二郎から送られてきた手紙を受け取ります。その手紙にはこう書かれていました。
「前略 里見 菜穂子 様
寒い日が続いておりますが、ご病状の方はいかがでしょうか? 富士見高原はとても寒い所だと聞いておりますので、非常に心配しております。
さて、実は仕事の方が・・・」
菜穂子への心配の言葉はそこそこに、二郎の手紙には仕事のことばかりが綴られていました。
二郎は美しいものにしか興味がないので、病気を患い徐々に美しくなくなっていく自分に対しての彼の気持ちは少しずつ薄くなってしまう。菜穂子はそう考えました。
「二郎の中で、自分という存在がどんどん薄れてしまうのが嫌だ・・・」そうして菜穂子は病院を抜け出し、山を降りて二郎の元へ行き、彼と結婚して共に過ごすことになります。
最終的には持病の結核が悪化もあり、「美しくない自分を二郎に見られなくない」と山に帰ることになってしまうのですが、
そんな菜穂子の様子を見て、二郎の妹で医者でもある加代は、子供の頃から二郎の性格を知っているだけに、「菜穂子さんがかわいそう・・・」と涙するのでした。
うーん。どうなんだろう?本当に菜穂子はかわいそうだったのでしょうか?
菜穂子の性格はしたたかで結構あざとい
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菜穂子が二郎と再会したときに、震災時、二郎におぶわれて救助された絹(きぬ)のことを積極的に話題に出します。「彼女はもう結婚していて、先日2人目の赤ちゃんを産んだ」ことを伝えます。
私は「もし仮にあなたが絹のことが好きだったとしても、あの人はすでに幸せになってるんだから、二郎さんが絹のことを想っても無駄ですよ♪」と釘を指しているシーンに見えました。この時点でちょっとあざといです。笑
こういう「女性」としての狡猾さとしたたかさを持つのが、里見菜穂子というキャラクターなのだと思います。
菜穂子はとても芯の強い女性です。以前ネットで誰かが「二郎に心奪われ、彼の人生に振り回されてしまった可哀想な人」と彼女について語っていましたが、それは違います。菜穂子は振り回されていません。
作中の菜穂子の様子を見ていれば分かりますが、彼女は全て自分1人で決めます。
結核になっているのに病院を飛び出して二郎と結婚するのを選んだのも菜穂子だし、離れるくらいなら横で煙草を吸って欲しいと二郎に要求したのも菜穂子、病気の症状が重く自分のこれからを悟り、1人里へ帰ることを選んだのも菜穂子です。
彼女が、「私これからどうしたらいいのかしら?」と誰かに相談することは一度もありません。全て自分1人で決めます。
二郎も自分勝手ですが、菜穂子は菜穂子で自分勝手です。
先述したように、二郎はサバの骨の曲線や、洗練された飛行機のフォルムなど、美しいものが好きです。好きな対象が美しくなくなった瞬間に、二郎はそれに対して興味が無くなってしまう性格です(このへんもちょっとサイコっぽいですね笑)。
そういう二郎のキャラクターを知っていた菜穂子は、自分の結核が進行して美しさを保てなくなる前に、二郎の元を去ってしまうのです。
「そうすれば、二郎さんは私のことを美しい人として心に焼き付けてくれる」と。
「美しいところだけ、好きな人に見てもらったのね」という黒川夫人の印象的な台詞がありましたが、菜穂子は最期まで自身の決断のみで行動していて、それだけに美しい人だったんですね。
風立ちぬの菜穂子というキャラクターについてのまとめ
二郎と菜穂子は、どちらも根本的にはお互いに干渉し合うことなく、押し付け合うでも慰め合うでもなく、ある意味、独りよがりな一方通行を貫く夫婦でした。
二郎も自分勝手なら、菜穂子も自分勝手(=自分で勝手に決める)なのです。そんな自分勝手に生きた結果、菜穂子は最後まで幸せな気持ちでいられたのなら、二郎を最低なクズ野郎だと罵倒するのは気が引けてしまいます。
そして、そんな二郎に菜穂子は人生を見出しました。彼女をかわいそうとするかしないか?の決定権は菜穂子にしかないでしょう。
全てのことを自分で決め、病を患い限られた時間を精一杯生きた。彼女はそんな自分をかわいそうと想ったでしょうか?
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