シン・ゴジラの台詞が早口な理由。出演者の演技が棒読みなのはなぜ?

エヴァンゲリオンでおなじみの庵野秀明さんが、脚本と総監督をつとめた怪獣映画、シン・ゴジラ

多くの鑑賞者が絶賛する中、「役者の台詞が早口で棒読みなのが気になる」「俳優の演技が下手で登場人物に感情移入できない」という否定的な意見も目立ちます。

なぜ普段は素晴らしい名演をこなす豪華俳優陣が、この作品では微妙な演技になってしまうのでしょうか?

 

今回の記事では、そんな、シン・ゴジラの登場人物たちの演技について書いていきたいと思います。

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シン・ゴジラは登場人物に感情移入できないのが理由でつまらない!?

庵野秀明監督のシン・ゴジラを観て、「つまらなかった」と感想を抱く人は、その理由に

・登場人物の台詞が棒読みすぎて演技に集中できない

・登場人物に感情移入できなくて面白くない

ということを挙げています。(他にも色々ありますが、とくに目立つのはこの2つの理由です)

 

たしかに、シン・ゴジラは台詞を淡々と読み上げるだけな印象がありますし、登場キャラクターも(ゴジラのこと以外については)いまいち何を考えているのか分かりづらい。こういう意見が挙がるのはもっともでしょう。

ヒューマンドラマが観たくて劇場に足を運んだ人にとっては、この庵野版ゴジラは駄作に思えてしまうかもしれません。

 

けれど、この映画はヒューマンドラマや俳優の演技を魅せるものではないんですね。むしろ、役者が演技をすればするほど、作劇上もっとも重要な「ゴジラ」というキャラを魅せるのが霞んでしまいます。

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シン・ゴジラを大絶賛している芸能人の中でもとくに有名なのが、ダウンタウンのボケ担当である松本人志さん。

松ちゃんは自身のテレビ番組ワイドナショーで、シン・ゴジラの良かった点として以下のようなことを発言していました。

「僕が思ったのは、初めてゴジラをちゃんと主役にした映画だなぁ、と。周りの配役さんは脇なんです。やっぱり“主演・ゴジラ”なんですよ。ゴジラのドキュメンタリー映画を観てるようなリアリティと…僕は素晴らしかったですね」

 

さすが、非常に的を得ていると思いましたし、シン・ゴジラを高く評価している人は皆、同じような感想を抱いたでしょう。

そうなんですよね。この映画の主役はあくまでゴジラという怪獣。他の役者さんはストーリー進行を支えるための脇役に徹しているのが、シン・ゴジラの特徴で、そのため役者に演技をさせないように台本が作り込まれてるんです。

 

シン・ゴジラの出演者が棒読み演技な理由

 

シン・ゴジラがあれだけリアリティに溢れているのは、出演者の方々が、過剰な演技をしなかったのが大きな理由の1つだと私は思います。

 

日本人は本来、コミュニケーションの上でオーバーな感情表現をあまりしない人種だと言われています。

たとえば「電話で会話しながら驚く」というシーンがあったとして、スマホを握りしめながら、「ななな何だってー!!?」などと大げさなリアクションをしてしまっては(アメリカのハリウッドならいいとしても)日本人のリアルからは遠ざかってしまいます。

ギョッとした表情を押し殺しながら「そうか・・・わかった。」くらいが日本人的な演技。声のトーンが大幅に変わることなく淡々と話しをするのが日本人の特徴です。

 

もっとも、脇役中の脇役な俳優さんに限って台詞の言い回しがオーバーアクションでしかも演技が下手だったりするのですが、そのお陰で「オーバーアクション=脇役」な図式を鑑賞者は無意識的に受け取ることになります。

オーバーアクションにわざとらしい台詞の演技をする配役があることで、作品全体にコントラストが生まれて飽きずに済む。飽きずに済むからこそ、鑑賞者はメインの登場人物たちの淡々としたやりとりに集中できる、という面白い仕組みになっていると思いました。

 

それにしても、長谷川博己、竹野内豊、石原さとみ、市川実日子、柄本明、大杉漣、國村隼…これだけの名俳優たちを一堂に会した上で、演技らしい演技をあえて封じるなんて、庵野秀明の天才性を垣間見ることができますね。贅沢な作品だ・・・。

 

シン・ゴジラの出演者の台詞が早口なのはなぜ?

また、先述したように、シン・ゴジラはあえて「役者に演技をさせない」ように作られているように感じます。それがゴジラを主演にするための、庵野秀明監督の意図なのでしょう。

何しろ登場人物全員が早口です。息継ぎをするのがやっとなくらいのスピードで、台詞をポンポンとガトリングガンのように口にしていかなければなりません。

そうなると、役者は演技するための間やタメを作る暇がなく、台詞で演技をする隙を与えてもらえないのです。

 

そして、その早口な台詞も基本的に説明調で、おまけに難しい聞き慣れない単語がたくさん出てきます。情報量がべらぼうに多いんです。油断していると置いてけぼりをくらいます。汗

一般的には「脚本1ページ=1分」と言われている映画の世界。シン・ゴジラには、概算すると3時間半~4時間の映画に相当する情報量が詰め込まれています。

脚本を読んで「これでは一本の映画の枠には収まらないんじゃないか?」と不安がるスタッフに、庵野秀明監督は「みんな早口でしゃべるから大丈夫」と答えたそうです。笑

 

こうなってくると映画を観ている鑑賞者も「今何が起こっていて、誰が何をやっているのか?」説明されている内容をちゃんと聞かなければいけない。役者の演技に集中する暇なんてはじめからないんですね。

(ただし、石原さとみ演じるカヨコ・アン・パタースンだけは例外です。このアニメのキャラクターのような癖のある登場人物、カヨコについてはまた別の機会に記事に書いてみたいと思います。)

 

それでも、さすが名だたる名俳優たちです。台詞での演技が省略される代わりに、棒読み気味の早口の台詞に抜群の表情を添えてくれます。

台詞に棒読み感を覚えることはあっても、俳優陣の表情の演技にわざとらしさを感じた人は少ないはず。

長谷川博己さんの「あれがゴジラか」の景仰と畏怖が混ざり合ったような表情は素晴らしかったし、國村隼さんの「仕事ですから」のときには震えました!

シン・ゴジラでの俳優陣の早口で棒読みな台詞や演技についてまとめ

シン・ゴジラの主演は、ゴジラという怪獣だけ。他の俳優陣は、ゴジラの生態系を解き明かしたり状況を説明するためだけに存在する脇役に徹しています。

そもそも庵野さんが書いた脚本事態が、情報量が多く、早口で台詞を語ることを要求され、その台詞の大半が状況説明になっていて、役者に演技をさせる隙を与えない仕様になっています(それでも限られた余白の中、表情で演技をする俳優陣はさすがです!)。

「ゴジラを引き立たせる」ただそのためだけに、各所に配置された役者さんたち。その一見珍しい役どころに再度注目してみるのも面白いかもしれませんね。

 

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