かぐや姫の物語の天人の音楽が怖い!感情がない迎えの曲と久石譲の天才性

かぐや姫の物語のラストで、月の住人がタケノコを迎えに来て、彼女を連れ帰るまでBGMとして流れていた天人の音楽が怖いと話題に!

悲壮感のあるシーンに陽気さ満点の曲調というギャップから、とても印象的な音楽になっていますよね?

高畑勲監督の作劇上の意図を考えると、たしかにかぐや姫のお迎えの曲はこれしかない。天人の音楽を作曲した久石譲さんは本当に天才だなぁ、という記事です。

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かぐや姫の物語の天人の音楽がすごい

ジブリの高畑勲監督の遺作となった「かぐや姫の物語」。

興行収入が振るわず大赤字になってしまっていたものの、個人的には火垂るの墓や平成狸合戦ぽんぽこを上回るほど素晴らしい作品で、パクさんの最高傑作だと思っています。

(なんでこれが興行収入的に爆死みたいな結果になってしまったのか・・・意味不明です。)

 

そして、何度も何度もブルーレイで観返したくなるこの「かぐや姫の物語」の作劇上、盛り上がりに大きく貢献してくれている要素の1つに、久石譲さんが作曲したBGMがあることは間違いないでしょう。

もののけ姫でのアシタカせっ記に代表されるように、ジブリ作品における久石譲さんの音楽といえば、登場キャラクターがそのとき感じている想いに寄り添い、それを代弁するかのようなメロディとアンサンブルが特徴です。

 

そんな久石音楽の中でひときわ異彩を放つのが、かぐや姫の物語のラストシーンで流れる天人の音楽

この曲のすごいところは、めちゃくちゃ明るくて楽しそうなのに、一方で感情の欠落した無表情な印象を受けるところ。

「目だけ笑ってない人を曲にしたらこうなるのかなー」みたいな。映画を観ていなくても、楽曲単体で聴いても狂気を感じるんですよね。

メジャーコード主体でこんな曲を作れるなんて、久石譲という作曲家はどれだけすごいんだ。。

 

天人の音楽がトラウマレベルで怖い理由は?

かぐや姫の物語のラストは、月から来た天の使者たちが、ヒロインのタケノコが地球で体験した全ての記憶を消して、彼女を月へ連れ帰ってしまうという衝撃的なものでした。

 

その、あまりに悲しいクライマックスで背景に流れていた天人の音楽。遊園地でパレードの行進のBGMとして使われそうな、底抜けに明るい曲調の楽曲です。

この陰と陽のギャップが怖い。血で真っ赤に染まった包丁を持った陽気なピエロに遭遇したときのような不気味さがあります。

先述したとおり、ジブリの劇中にかかるBGMは、登場人物の感情に寄り添い代弁するような

喜怒哀楽の感情表現が全面にあらわれるのが本来ですし、久石譲さんもそういった作曲がとても得意な方なんですね。

 

事実、久石さんに対する作曲リクエストとして、「夕焼けを見て感動した気持ち」など具体的な注文が監督から入ることがとても多い。

だからこそ、この天人の音楽は「悲しいシーンにはストレートに悲しい音楽」なのが定番な、今までのジブリ作品ではありえない変化球的な楽曲なのです。

 

そしてそれだけに、この極めてイレギュラーな天人の音楽は、

作品を観た人が「すごい!」「怖い!」「不気味…」と様々な感想を抱くほど印象に残る曲になっています。

 

もちろん、これは高畑勲監督が久石譲さんに「こういう曲を作ってください!」とリクエストしてできたBGMなのですが、

なぜ、高畑勲さんはかぐや姫の物語のラストシーンにこの底抜けに明るい曲を採用しようと思ったのでしょうか?

 

感情がない迎えの曲と久石譲の天才性

かぐや姫の物語(竹取物語)の舞台は平安時代初期。この頃には日本に仏教信仰が定着していました。

日本仏教では、「現世でたくさんの苦しみや悲しみを経験しながら輪廻を重ねれば、解脱して天上世界へ行くことができる」と信じられています。

 

天上世界の人々には、喜怒哀楽などの人間らしい感情はありません。

逆に笑ったり泣いたりすること自体が煩悩がある証拠と考えられているので、すでに解脱している天人から見たら「まだまだ修行が足りない!」状態なのでしょう。

月(=天上世界)の住人たちにとっては、一見嬉しそうな出来事も、一見悲しそうな出来事も、全てがただの現象に過ぎません。

極端な話、月の住人からしたら、自分の子供が生まれることも、みかんの皮をゴミ箱へ捨てることも、どちらも同じようなものなです。

 

・・・ちょっと意味不明ですよね。笑

人は理解不能な場面に遭遇したとき、本能的に「不気味」「怖い」という印象を抱きます。

その月の住人の意味不明感を表現する上で、かぐや姫を迎えに来る曲は天人の音楽以上のハマり曲はないと思いました。

 

だって、とても悲しいシーンにとても明るい音楽・・・。

これだけで意味不明ですし、現世の人間と天人は違う人種なのだということが、天人の音楽を一聴するだけで(ある意味)分かりますから。

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また、天人の音楽の作曲に際し、高畑勲監督は久石譲さんに「愉快で能天気なサンバのような音楽を作って欲しい」とリクエストしたそうです。

久石譲さんはそのリクエストを聞いて「ああ、この映画どこまでいくんだろう」と思ったそうです。笑

そのリクエストにしっかりと応え、私たちの脳裏に消えない印象を叩き込んでしまった久石譲。

 

高畑勲さんも化け物クラスの天才監督でしたが、久石譲さんも負けず劣らず天才ですね。

天才が2人手を組むと、こんなにすごい映画ができるのか・・・。

 

かぐや姫の物語の天人の音楽についてまとめ

 

天人の音楽の、目だけ笑ってない感じというか、感情が抜け落ちた無表情な印象は、

すでに悟って解脱した、月の住人の生態系をそのまま表現しています。

 

喜怒哀楽を持った私たちの上位互換として存在する、喜怒哀楽を一切持たない月の住人。

私個人としては、「だったら解脱して月に行かない方が幸せじゃん?」とか思っちゃいますが、それも修行が足りない証拠なのでしょう。笑

 

この、現世に生きる私たちには一切理解のかなわないような意味不明さを、1つの曲で表現してしまう久石譲。

本当に彼は天才過ぎますね。

 

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